アニメには1話1話にテーマがあり、無駄に思える描写も全ては繋がっている。
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好きなアニメ3本:ポケ戦、コンレボ、刀使ノ巫女
嫌いなもの:客観、論理、中立、是々非々という名の透明化
アイプラは井川葵に注力してました(引退)
2019年12月3日のアーカイブ
- 「ハイスクール・フリート」7話。水は少なくても多くても困る。過不足とは量の「大小」だ。そして過不足が大小ならば、どちらか片方だけで十分にはならない。
#はいふり - 小である明乃は、かつての海難事故で自分がもっと早く飛び込んでいれば両親も助かったのではないかとの思いに囚われている。そこには自分が早く飛び込んで助かることを願っていた両親(大)の視点は備えられていない。
#はいふり - 必要なのは大が小を知り、小もまた大を知ること。当直交代を前触れとするように、明乃とましろは普段と立場を入れ替える。助けもなく1人死にかねない恐怖を、大切な人が戻る場所をこそ守らねばならない重圧を、それぞれが知る。
#はいふり - 気付けば大きな両親を見失っていた明乃、そして気付けば小さな子猫を見失っていた若夫婦は、互いを逆方向から見た関係に等しい。そしてましろは若夫婦に代わって子猫の捜索を引き受ける。「大」を肩代わりする。
#はいふり - 小である明乃は大である両親のの助けなくして事故からは生還できなかったし、大であるましろもまた小たる子猫と一緒でなければ挫けていたろう。大も小も、どちらか片方だけで十分にはならない。
#はいふり - 苦手だった猫を受け入れることは、ましろにとって「小」を受け入れること。そして明乃を受け入れることなのだ。だから明乃がもえかをなぜ助けたいのかも、彼女が海の仲間を家族だとする理由と共に受け入れられる。
#はいふり - 大小がぶつかるのではなく互いに落とし所を探るような、優しい気持ちになれる回でした。
#はいふり