アニメには1話1話にテーマがあり、無駄に思える描写も全ては繋がっている。
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好きなアニメ3本:ポケ戦、コンレボ、刀使ノ巫女
嫌いなもの:客観、論理、中立、是々非々という名の透明化
アイプラは井川葵に注力してました(引退)
2020年8月10日のアーカイブ
- 「コンクリート・レボルティオ」最終回となる24話は、決戦から時が経った神化53年では既に人々が超人を懐かしむようになったとの語りから始まる。それは超人達が「幻想」となったことを意味する。
©BONES・會川 昇/コンクリートレボル… twitter.com/i/web/status/1… - そうして見れば、超人課の面々も形こそ違えどみな幻想と化しているに等しい。時代から弾かれた兵馬も、別世界へ去った笑美達妖怪(とウル)も、子供にすら見えなくなったオバケも、神化53年では杖もなく変身せず魔法を使う輝子も。
#コンレボ - そして爾朗は、「超人を守る超人」の幻想を輝子に託そうとした。自らを最大の「怪獣」として倒させれば彼女の存在が超人を守ってくれる。それは半ばは上手くいき、この戦いの中で友情や矜持を取り戻した者もいる。
#コンレボ - しかし爾朗の目論見は2話で風郎太に「そのままでいてほしい」と身勝手な願いを託したのと何も変わらない。超人課の面々は自分自身が幻想となったのだから、爾朗も幻想を誰かに託すのでなく自らを幻想とせねばならない。
#コンレボ - *里見の力の使い方が(策謀や)老化停止や肉体強化というのも「現実」的で、幻想から程遠いのが彼のあり方を示しているように思う。
#コンレボ - 超人を、正義を、理想を、何かを「嗤う」者こそが爾朗の対になる悪で、それをきっぱり否定することで爾朗は"超人"となる。そして超人課の面々が示すように、超人とは幻想になるもの。
#コンレボ - 作品とはどんな形であれ(別の形で再開するのであれ)終わりを迎えるもので、その時その肉体とでも呼ぶべきものは消滅する。今はもう語られなくなった過去の数多の作品は、跡形も無いと言ってもいい。
#コンレボ - というわけで、以上がコンレボ最終回24話のレビューです。「アニメは放送単位ごとに1つのテーマがある。無用に思える描写も全てそこに結実する」というのが僕の信条ですが、それが成立する少し前に放送された本作の再視聴は自分の成長の確認でもありました。
#コンレボ - 意気揚々と挑んではみたものの、これがまあボロボロ。テーマの探し方にたぶん手癖がついていて、第一層に過ぎないものを「これがテーマだ」と満足してしまっている恐れをまざまざと突きつけられるレビュー時間となりました。
#コンレボ - 同時にこの再視聴は、僕の中に爾朗がいることを再確認する時間でもありました。爾朗は「たった1つの正しいこと」を求めたわけですが、僕は自分のアニメレビューに「たった1つの正しいテーマ」を求めている。
#コンレボ - 「クソアニメwww」って作品を嗤う人達が大っ嫌いで、それが批判ではなく敬意の欠落であるのが許せなくて。そうじゃないんだって言いたいから、少しでも多くの人に言いたいから、僕はネットの片隅でレビューを書き続けています。
#コンレボ - 僕がアニメレビューに「たった1つの正しいテーマ」を求めるのも、作品に対してに限らず「嗤う」ことが嫌いなのも、きっと爾朗に教えてもらったり認めてもらったことなんじゃないか。そんなことを、この再視聴では感じました。
#コンレボ - 僕はまだ歌える。これからも歌っていく。そう答えて、本作のレビューを終えたいと思います。原作の會川昇さん、そして監督の水島精二さんを始めとしたスタッフの皆様、ありがとうございました。
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「コンクリート・レボルティオ」24話レビュー~幻想は生きている~ - アニメとおどろう
dwa.hatenablog.com/entry/2020/08/… - @nishi_ogi 4年前のツイートに一方的に恐縮ですが、久しぶりにコンレボを見ました。改めて、僕にとって大切な作品になっているのを感じました。ありがとうございました。